about Peranakan

 

History of Peranakan

プラナカンの歴史

今から600年以上も昔。1405年、明(現在の中国)の皇帝「永楽帝」の命令によりアフリカ遠征まで行った海軍大将・鄭和(チェンホー)は、国土の侵略や拡張をせず、寄港国の自治制を尊重しながら親善や通商交易を目的に、明国への朝貢貿易を促す平和外交をしていました。

彼は2万数千人の独身男性船団員と共に巨大艦に乗り、 季節風の流れに航路を任せ、たどり着いた地がマレーシアのマラッカでした。
その地は15世紀にはポルドガル、16世紀にはオランダ、17-18世紀にはイギリスと欧米列強による統治下にあった中で、国際都市として繁栄を極めていました。そこで15世紀後半から数世紀にわたって移住しマレーシアに根付いた、主に中華系移民と現地のマレー系女性が結婚して誕生した子供を「プラナカン(地元の子)」と呼びました。


 

Peranakan Beaded Embroidery

プラナカンビーズ刺繍に込められた想い

1870年以降イギリス領となったマレー半島のマラッカは、貿易が盛んであった土地柄、プラナカンは多くのビジネスを成功させ豪商となっていきました。西洋と中国、そして地元マレー文化や周辺国の文化が交じり合い、特徴的で、且つ豪華な生活様式を形成し、1900年初頭のプラナカン文化は栄華を極め、その暮らしは絢爛豪華なものでした。

プラナカン家庭の子女達が花嫁修業のひとつとして家庭内で教わったのがプラナカンビーズ刺繍でした。もともと生糸を使用した中国刺繍やイギリス人が持ち込んだクロスステッチをたしなんでいましたが、ヨーロッパから極小ビーズがもたらされると、ビーズ刺繍で婚礼シューズ、ハンカチ、ポーチ、壁に飾るパネルなどを製作していきました。美しいプラナカンビーズ刺繍を製作した嫁を迎えることは、家族や嫁ぎ先の家族にとって誇りそのものであり、デザインや配色から、センスが良いこと、綺麗な刺繍面から正確性をもった性格であること、忍耐強い女性であることが証明されたと言われています。

婚礼時期になると総ビーズ刺繍のテーブルクロスや巨大パネルを応接間に飾る家庭も多くありましたが、マレーシアのペナン島を中心に刺繍専門職人も存在しており、外注して立派な刺繍の製作を依頼することは一家の成功を誇示することでもありました。


 

Peranakan Beaded Shoes

プラナカンビーズシューズの背景

プラナカンビーズシューズはもともと婚礼用の靴として製作されていました。 ビーズのほかコードや金糸を使用したり、中国刺繍と合わせたり、ベルベットなどの素材でビーズ刺繍を施すなど、多種多様の素材やステッチの組み合わせとアイディアで、様々なプラナカンビーズシューズが作られてきました。写真のような総ビーズ刺繍のプラナカンビーズシューズをつくるには、24cmの靴で約18,000-20,000個のビーズを刺繍するため、3-6ヶ月の製作期間が必要とされます。

慶事用につくられることが多かったことから、吉祥文様や先祖の出自文様が使われたり、自然界に存在する野鳥や植物、婚礼時に履くサロン(腰巻布)に合わせたデザインでつくられることが多かったようです。

現代ではクロスステッチの図案を用いたりすることで、現代にも受け入れやすいデザインも多く製作されています。そういったデザインの背景には幾何学模様が用いられ、メインデザインと幾何学模様、そして配色の組み合わせから数万通りの図案ができるため、世界でたったひとつの自分だけのプラナカンビーズシューズを製作することができるのも大きな魅力です。


 

Pretty Small Beads

プラナカンビーズの定義

プラナカンビーズ刺繍にとって一番大切な存在、それはビーズそのものだと私たちは考えます。

主に使用されるビーズはヨーロッパ産のSEED BEADS(シードビーズ)と呼ばれる種のような最小ビーズと、ONE CUT BEADS
(ワンカットビーズ)と呼ばれる1面だけにカットが入り、光に当てると輝くビーズです。サイズはどちらも1mm前後ですが、初期の頃にはイタリア産の約0.5mmのビーズや約1.3mmのボヘミア産の大きめなビーズも使用されていました。

生産エリアは、イタリアのムラーノ(Murano)やヴェネツィア(Venetia)、フランスのリヨン(Lyon)、そしてチェコ共和国のヤブロネツ(Jablonec)でした。

これらのビーズは、17世紀から世界中の特産品と変えるための交易品として特殊な環境の中で生産され、世界と繋がる貿易経路であったマレーシア、シンガポールにも大量にもたらされてきました。

自然界から飛び出したような翡翠色、菖蒲色、シアン色などの美しい色彩が特徴で、曇りガラスのような風合いのあるビーズはまさに昔のガラス職人の匠の技でつくられてきたものでした。

このようなビーズや最小ビーズはプラナカンビーズとして長年愛用されてきましたが、現代では生産停止となっており、市場でも入手困難な希少ビーズになっています。


 

The Antique Beads

アンティークビーズへのこだわり

昔のアンティークビーズやチェコ共和国で製造された約50年前のプラナカンビーズは、現在では生産停止となり、市場での流通がなくなったため、オークションやアンティークショップにあるだけの存在になりました。

PBS ATELIERでは、当時の美しいプラナカンビーズを取り入れた刺繍製作にこだわり、プラナカンビーズを国内のみならず、世界中から収集しています。

現代のビーズの中に、少しでも昔のプラナカンビーズを入れて刺繍をすることによって、過去からの時空を超えてひとつの刺繍の中で現代に生きるビーズの息吹を感じることができます。そして、未来へ生き続けるプラナカンビーズ刺繍として大切に残していただきたいと考えます。


 

The Modern Beads

継続的なプラナカンビーズの生産を目指して

現在、プラナカンビーズ刺繍で使用されるビーズは現代も製造が可能なビーズであるのがほとんどですが、PBS ATELIERでは、当時のプラナカンビーズを使用するほか、製造企業との協業により、当時のプラナカンビーズに近いビーズの再生産を試みています。

継続的な製造を行っていくことで、今後永きに渡り受け継がれ、美しいプラナカンビーズを皆様にお届けし、創作活動の中で活かしていただきたいと思っています。


 

Tools

昔ながらの刺繍道具

昔から先人が使ってきた道具には、使いやすさ以上の意味が
あると考えています。

プラナカンビーズ刺繍に使う道具たち。
専用針、糸、ロウ、目打ち、はさみ、キャンバス、グラフ用紙、そして刺繍枠。

昔から使用されてきた伝統刺繍枠のPidangan(ピダンガン)も、風合いがあるだけでなく、適度なキャンバスの張りをつくることができます。

どの道具もプラナカンビーズ刺繍にとって欠かせないものです。